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2012.04.20
国内 特別上映会にご招待されました。

「未来の記録」国内初の特別上映会にご招待されました!

「第七回 ふわゆる上映会」

<日時>2012年3月10日(土)19:00-

<場所>こすみ図書

<費用、予約の有無>500円+カンパ 要予約

 

 

もう終わってしまいましたが、告知させて頂きます。

2011.12.30
12/30(金)

ご来場ありがとうございました。
本日で、限定一週間上映が終わります。
次回の上映は、今の現在、予定は、ございません。
最後の上映、お見逃し無く!!

12/30(金)

12:40の回 休映
16:50の回 上映後、Q&A、トークイベントあり 登壇者:岸監督

2011.12.29
12/29(木)

12/29(木)

12:40の回 【バリアフリー上映】上映後、手話によるQ&A(20分) 登壇者:岸監督
※視覚、聴覚障害者の方達のための日本語字幕と副音声を付けた上映。

16:50の回 本編上映のみです。

29日、12時40分 バリアフリー上映に伴いまして、渋谷駅ハチ公口から劇場までのご案内を用意致します。12時10分から12時30分まで、渋谷駅ハチ公前でお待ちしています。ハチ公口に着きましたら、上村(08054471786)までお電話ください。

“アップリンクへの道順の改めて、ご説明します。”

渋谷駅のハチ公口を出て、109にいきます。
左手に109、右手にアディダスの間の道を真っすぐ行くと、東急本店(Bunkamura)に突き当たります。
東急本店とメガネスーパーの間の道を真っすぐ行くと、右手にセブンイレブン、お花店などがあり ~
まだそのまま真っすぐ行くとUPLINKがあります
1階はカフェ☆ 2階がUPLINKになっています。
看板が出ているので、すぐわかると思います。

UPLINKを過ぎると、左手にローソンがあります・・・
ローソンまで行ってしまうと、行き過ぎです

それでは、ご来場心よりお待ちしております。

お問い合わせ

渋谷アップリンクX 03(6825)5502

上村 08054471786

2011.12.28
12/28(水)

12/28(水)

12:40の回【英語字幕版】
16:50の回 上映後、Q&A、トークイベントあり 登壇者:岸監督

──────────────────────────────
デンバー映画祭にご来場されました、お客のブログを翻訳させていただきました。

もし、ジョン=カサベテスの名に続く賞を得るとしたら、それは岸建太朗になっただろう。
未来の記録は、大部分が即興劇に基づく作品であるという事実と、4年間に渡った撮影の経緯は明らかに「アメリカの影」「フェイシズ」カサベテス作品) の様式に続くものと考えている。
(中略)
60年代初頭から70年代のインディペンデント作品の雰囲気に近い、過去、現在、未来が、仮想の学校での可能性と過去の学校での記憶との中で一つに混ざりあうというストーリーだ。

http://www.coffeecoffeeandmorecoffee.com/archives/2011/11/starz_denver_fi_28.html

2011.12.27
12/27(火)

12/27(火)

12:40の回【フランス語字幕版】
16:50の回 上映後、Q&A、トークイベントあり 登壇者:岸監督

※フランス語字幕は、これで最後になります。
邦画をフランス語字幕で観る機会はあまりないはずです。
この機会にぜひ!!!

» より以前のお知らせはこちら

Trailer

Introduction

「この世界は、繋がっている。私はここで、一人ではない」

 「SKIPシティDシネマプロジェクト第一弾支援作品」として選出され、2011年5月から全国で劇場公開された新感覚デジャブ映画『未来の記録』。俳優の岸建太朗が、魂の救済を求めて撮影した膨大な記録=記憶を、独特の映像美と時間感覚で綴った本作は、全国各地で数多くのリピーターを作り出した。同プロジェクトによる公開終了後もその勢いは止まらず、デンバー国際映画祭、トリノ国際映画祭《WAVES》部門など海外映画祭でも多数上映され、惜しみない賛辞の声を受けている。

 そんな最中──「未来の記録」は新たに生まれ変わる。
 岸監督は4年前の8月に、パレスチナを巡回しながら、「Immigration」という短編映画を記録していた。その旅の最中「未来の記録」に繋がる「ビジョン」を受け取ったのだと言う。ゆえに「Immigration」は、「未来の記録」の原型と呼べるイメージや衝動に満ち溢れた作品だと言える。

 そして今回、「Immigration」と「未来の記録」が奇跡の融合を果たし、新たな一本の映画としてここに生まれ変わる!!

《リバイバル上映について──監督・岸建太朗》

 今回の上映では、英語、フランス語など多言語での字幕上映、そして視覚、聴覚障害者や視覚障害者を持つ鑑賞者に対応した日本語字幕と副音声を付けたバリアフリー上映、また「未来の記録」で音楽を担当した衝動物によるライブ演奏を企画しています。

 私たちには、一生懸命作り上げた映画をできる限り多くの人に「伝えたい」という当然の思いがあります。今、まさに字幕や副音声を製作する作業の真っ最中なのですが、「伝えること」の難しさを実感しています。

 一方でそれは、作り手の私たちにとって新鮮な経験でもあり、「伝えること」の大切さを実感する良い機会にもなっています。それはまるで新たな映画を産み出そうとしているかのようです。
 「伝えようとすること」の果てに、「映画と世界」の新たな関係を、観客の方達と一緒に紡ぎ出すことができればと願っています。

Story

「はじまり」

新しい学校を始めようと、幸と治は一軒の古い家屋に住み始める。
そこはかつてフリースクールだった場所で、机や椅子、遊具までもがそのままの状態で残されていた。
幸はそれらに触れ、デジャブに似た感覚に襲われながら、
「ずっと昔、ここに来たことがある気がして」
と、治に訴えるも、
「思い違いだよ」と、あっさりと否定されてしまう。
初めての場所に懐かしさを覚えるのは、良くある錯覚だと言うのだ。

「想像すること」

「想像してみよう。これまでのことと、これからのことを」
2人は目を閉じて、自分達の未来(自分たちが作る学校)へのシミレーションを始める。
「私たちの学校が始まって…」
その頃、2人の背後で何かが動き出していた。

「解凍」

次第に世も更け、闇夜に満月が輝いていた。
幸は教室で一本のカセットテープを発見し、徐に再生ボタンを押す。
すると一瞬で夜が明けて朝が来るが、時間は止まることなく動き続ける。
それはまるで、「この家の記憶」が一気に解凍されてゆくかのようである…

「儀式」

一冊のノートを手に、かつての生徒たちが「子供の家」にやって来る。
ノートの表紙には「思い出を残そう」という言葉。
悲痛な生徒たちの姿から、「ある忌まわしい事件」の存在が暗示される。
「先生。…記憶って、どうやって消すんですか?」

×

ノート、赤ずきんの紙芝居、時折画面に映り込むイメージは、
過去か未来か、はたまた幻視(幻覚)なのか?
謎が謎を呼び、イメージは錯綜する。やがて、記憶の扉が開いた。

「回想」

死者(こすうけ)と生者(治)は思い出す。この家で何が起ったのかを。
治は回想し、強く噛みしめる。過去は決して取り戻せないことを。
「殺してしまって…僕が2人を」
こうすけは回想し、死に向かう道を辿りながら噛みしめる。
自分が何故、自殺してしまったのかを。
「…この後どうしたんだっけ?」
やがて治とこうすけは時空を超えて交わり…「踏み切り」の前に立った。
後悔に苛まれ、自ら死に接近しようとする治。その背後を歩いてゆく幸。

踏み切りのバーが降りる。

「…電車が来る…ほらサイレンだ…」

「彼岸」

時間、幻想、夢、現実を包み込むような壮大なイメージの洪水。
時空を飛び越えて触れ合う死者と生者。
未来から過去に向けた不可能な祈り。
祈りはどこに届くのか??

ラジオの声
「…あの人は今どうしているだろう…幸せだろうか?
未来も過去も、皆が幸せでありますように。アベマリア」

Staff & Cast

監督・脚本・撮影・編集

岸 建太朗

プロフィール

俳優として活動する傍ら、03年より映像製作を開始する。
2010年、長編「未来の記録」がSKIPシティDシネマ国際映画祭、長編部門ノミネート。
第11回 TAMA NEW WAVE グランプリ受賞。その後、ハンブルグ日本映画祭、デンバー国際映画祭に招待上映、第29回トリノ映画祭“WAVES”部門に選出されている。日本からは、園子温監督、河瀬直美監督のみでした。「未来の記録」は、5月より新宿武蔵野館を皮切りに全国上映を果たす。12月24日より渋谷uplinkにてアンコール上映決定。

キャスト:
上村聡、あんじ、鈴木宏侑、町田水城、杉浦千鶴子、小林ユウキチ、
高橋周平、鈴木雄大、椎菜真理、川上友里、川崎桜、亀島一徳
音楽:大杉大輔(衝動物)、後藤健(衝動物)、相川隆司
照明助手:尾崎智治 撮影助手:大竹正悟 美術:市川愛奈 脚本協力:稲泉広平、大地康仁
制作進行:宮川祥恵 プロデューサー:清水徹也
字幕/タイトル制作:野村岳、竹内洋介、香取剛
英語翻訳:リンホブデイ フランス語翻訳:ロベルタ ヴェリオ
映画祭翻訳:田口昇、石川麻衣 翻訳協力:中台あきお、マッダレーナトラベルジーニ
プロダクションアシスタント:太田信吾 宣伝美術:ほうとうひろし WEB:相馬称
協力:西岡浩二、森ゆかり、SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ、M3&co、遊園地再生事業団
製作:Kzone、WORLD
2011年 日本 99分 カラー ビスタサイズ

Exposition

極限の映像美が紡ぎ出す白昼夢「新感覚デジャヴ映画」

 舞台俳優として「大人計画」「遊園地再生事業団」、映画やドラマ、CMにも多数出演している俳優岸建太朗の長編監督第1作目。
 岸監督が98年より師事していた劇作家・宮沢章夫氏の07年公演「ニュータウン入り口」に衝撃を受けパレスチナに降り立った際、突如訪れたビジョンを映像化しようと試みたのが、本作『未来の記録』である。魂の救済を求め、3年をかけて撮影された膨大な記録=記憶からなる執念の力作、『未来の記録』は、その巧みな映像美と独特な時間感覚によって、観客の五感を揺さぶり続ける。
 まさに「新感覚のデジャヴ映画」がここに完成した。
 主演を演じるのは、舞台俳優としてその演技の評価も高い、上村聡(『ジャパニーズ・スリーピング』)。その恋人幸を演じるのは、元モデルで女優として活躍中のあんじ(『美代子阿佐ヶ谷気分』)。その他、映画や舞台で活躍する実力演技者たちが監督のイメージを具現化する。極限に追い込まれた俳優たちのリアルな演技は、フィクションの枠を超え、まるでドキュメンタリーを観ているような錯覚さえもたらす。

『未来の記録』ができるまで(文:岸 建太朗)

たくさんの思い出を このノートに書いていこう。楽しかったこと、面白かったこと、辛かったことも全部。人は誰でも、人に言えない思いや 悩みをたくさん持っているものだから。それらをたくさん、このノートに書いていこう。そして、このノートを思い出で埋め尽くそう。これは、二人だけの秘密のノートだよ。

7月31日 三橋弥生

 2007年2月、『未来の記録』の原型に当たるワークショップが始まった。私が最初に行ったのは、参加者に『WORLD』という短編映画の設計図が記載された「手紙」を手渡すことだった。俳優の上村聡、あんじ、鈴木宏侑、音楽監督の大杉大輔・後藤健、美術の市川愛奈、脚本の稲泉広平が、最初の参加者である。

 『WORLD』の内容は、線路で投身自殺した一人の女性が死と生の境界を彷徨い歩き、最後に自分の死んだ姿を見るというものであった。

 そもそも『未来の記録』と『WORLD』が自殺をテーマにした作品になったことには、個人的な事情が深く関係している。2006年の暮れ、私はほぼ同時期に2人の友人を亡くしていたからだ。当時の経験は『未来の記録』の重要な要素になっている。また、『未来の記録』の主人公「治」は、そんな当時の私の心情が色濃く投影された人物でもある。

 2010年のSKIPシティ国際Dシネマ映画祭に『未来の記録』がノミネートされた際、私は大きなスクリーンで、初めて『未来の記録』を見た。観賞後、舞台挨拶のために用意した言葉を全て忘れ、
「僕は亡くなった友人に会いたかったんです。そして今日、本当に会えました」と言った。
 奇妙な話だが、私が何を追い求めてこの映画を作ったのか、完成した映画を見て思い出したのだ。

 私にこの映画を作る切っ掛けを与えてくれた友人達、そしてパレスチナに渡航した際、フリースクールで出会った子供達に心から感謝したい。私は、ヘブロン近郊の村で出会ったある教師の言葉を忘れることができない。
 彼は、「我々には、祈る自由すらない」と言った。

人は二度死ぬのだそうです。
一度目は肉体的な死です。
そして二度目は
その人が思い出の中から居なくなった時に訪れる
「記憶の死」です。
…こうすけのこと 忘れないで下さい。
ずっと覚えておいて下さい。
二人を もう一度殺さないために

 激しい豪雨の中、『未来の記録』の撮影は始まりました。現場に到着した途端に車は泥沼にハマります。スタッフ達は衣服を脱ぎ捨て、パンツ一丁で救出作業を開始。しかし5時間後、現場は笑い声に包まれていました。僕達は、車を引っ張り上げるどころか、埋めていたことに気がついたからです

 この映画に捧げた時間、人、物、場所、大地、この世界の全てに感謝します。
 底抜けの笑顔に見守られて、この映画は誕生しました。

Link

Under Construction...

Conversation

岸建太朗監督/上村聡インタビュー

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭から飛び出した注目のデジャヴ映画『未来の記録』

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭がセレクトした良質な作品の公開を支援するプロジェクト【SKIPシティ Dシネマ プロジェクト】の第一弾『未来の記録』が東京・大阪での公開を経て、6/11(土)京都みなみ会館に登場する。

フリースクールを始めるために、古い家に引っ越してきた男と女(上村聡、あんじ)。前の住人が残したノートの“記録”から、家の“記憶”が呼び覚まされる。元教師である男が消し去っていた痛恨の記憶。一体となる死者と生者。繊細かつ鮮烈な映像美とドキュメンタリーと見紛うばかりの軋むような俳優たちの演技に圧倒される、狂おしいまでのパワーを秘めたデジャヴ映画だ。

俳優として多数の舞台や井口昇監督、西村喜廣監督の映画で活躍し、この作品が1本目の長編監督作品となる岸建太朗さんと、主演で舞台俳優として活躍中の上村聡さんにお話を伺った。

まずは映画づくりのプロセスを疑うところから

───まず『未来の記録』制作のきっかけを教えてください。

岸 :親しい友人が2人亡くなったんです。それが同時期に起こったことで、心に重く来るものがあって、自殺に関する映画を撮ろうと思ったんです。そんな時に『ニュータウン入口』っていうイスラエルのことを描いた宮沢章夫さんの舞台をきっかけに、どうしてもイスラエルのパレスチナに行きたくなったんです。あてもなく行って現地で知り合った人に、近くの村に懇親会で招かれたんですね。「日本から映画を撮る人が来てる」って。そこはフリースクールで、校長先生や若い教師の方々、戦争孤児たちが集まってくれました。その時、教師の一人が「我々には祈る自由すらない」っておっしゃったんですが、深く考えれば考えるほど、言い返す言葉が見つからなくて。俳優を辞めようと思ったくらい深いところが揺り動かされて、そういう人に向けて、どの面下げてきちんと届くものを作ることができるんだ、って。それ位動揺していたんですが、日本に帰る当日にあるビジョンが急に浮かんで、それを映画にしてみよう、元々やってきたことをもう少し話を広げて作ろうと思ったのが2007年の7月です。それから4年近くかかって完成したのが『未来の記録』です。

───時間がかかったのはどういうところに拘ったせいですか。

岸 :最初にワークショップをやったんですけど、参加して欲しい俳優やスタッフ、まだ何も始めていない若い子たち、みんなに手紙を渡したんです。“この映画は完成を目指さない”ってことを書いて。これが3年半かかった大きい理由の1つですね。

上村:普通のやり方なら台本、撮影スケジュール、より最短でコンパクトに進める準備をするはずですよね。お金もかかりますし。
でもそういった決まったプロセスを踏むことで、同じような映画ができてしまう。僕たちがやりたかったのは今まで見たこともない映画だったんです。プロセスを疑って取り組むことで、それだけ時間がかかる訳で。中断も衝突もしますし、撮影現場で岸監督はなるべくイニシアチブをとらないようにしていたし、出演者、カメラマン、録音技師といった担当に係らず、その人の意見を一度受け入れる。いいものを生かしていくといった感じで相談が始まると物凄い時間がかかるんです。

岸 :自分たちが納得いくまでやると。僕のスタンスとしては全員の意見を等しく受け入れるっていうのがありました。どんなに叩かれても自分が“揺るがない場”になろうという意識があって。確かに最後は僕がジャッジするんだけど、思うことがあれば全員言っていいしってやり方をしたので、朝までしゃべって10分しか撮らないってこともありましたね。それでも何故かやって来られました(笑)。

上村:楽しかったってことだと思います。僕の実感としては。合理的にやるなら監督が全てジャッジして行くべきなんでしょうけど、それでは監督1人の考えの範疇でしかなくなる。それではつまらないからもっと広げようってことだったんです。自分のアイディアは面白い!っていうのをプレゼンし合う。それがみんな退屈せずにずっとやって来られた理由の1つじゃないかと思います。

───プレゼンで一番白熱したのはどのシーンですか。

岸 :子供を奪い合いうシーンですね。あそこは何度も脚本を書いて、直してを繰り返したんですけど最終的に人物が本当に生きていたとしたらどうするか。父親は?三橋先生は?“こうすけ”って自殺した生徒はどうするか?最終的な出来事は決められているし、映画は作り事ですけど、そこに肉薄しようと。舞台挨拶でもお話した、脚本が8Pあったら8P目を破り捨てて、7Pまで演じた俳優の実感で未来を選択して行こうと。そうすることで作り事の一線を越えたものが作れるんじゃないかっていうのもあったし、みんなも恐らくそれを信じたんじゃないかと思うんです。

俳優業が監督作に与えた影響は

───岸さんは俳優でもありますが、俳優業が監督するにあたって与えて影響はありますか。

岸 :単純ながらたくさんありますね。今思うに、僕は監督でありながら、本気でカメラマン役を演じようとしていたんですよ。カメラを買ってどこに行くにも持参して、カメラを操作しているって意識しなくなる修行をしていたんです。そういうやり方でしか撮れない一瞬の何かを撮ろうと。後は、ワンシーンワンカットの作品をたくさん借りてきて1フレーム1フレーム何が起こっているか分析して、実際やって実験してましたね。
これって役作りの思考なんですよ。役を理解していくように全部のことを捉えてるんで、今後、カメラマン役出演してましたって言おうかなと思って。一瞬だけ鏡に映り込んでますよ(笑)。影響されてるっていうより、むしろ俳優のままなんですよ。たまに「監督、俳優、どっち?」って聞かれて、昨日までは「いや、お互い必要なことなんでどっちか決めてないんです」って答えてたんですが、そうじゃないんですよね。俳優のまま監督役を演じ続けている。そんな感じですね。

───上村さんは舞台俳優であり、演出家でもいらっしゃるんですね。この映画では演出という形ではないかもしれませんが、みんなで一緒に作り上げるということを体験されていかがでしたか。

上村:今まで舞台を2本ほど演出させていただいて、岸さんに出ていただきました。『未来の記録』で僕たちが試みて来たことは、自分が演出家という立場で何かやるときも同じようなスタンスでやろうと思っています。僕が全て強いる訳でなく、俳優が色々なものを見つけて行けるような環境を僕が整える。さっき岸さんは“場であろうとする”っておっしゃってましたが、僕もそういうつもりでやりたいですね。
俳優として舞台に係る中で、迷いが生じたときに自分が主体的に動くことが一番大事だと、この映画を経て改めて感じました。

岸 :上村くんは脚本、編集と映画のあらゆる工程に係ってくれたので、上村くんから教えてもらったことが多かったですね。音楽の大杉大輔くんは音楽、録音監督として参加してくれたんですが、この企画を思いついたときに、一番最初に了承しあったんです。彼がいなかったら絶対今の形になってない。そこに上村くんがいて、“3人寄れば文殊の知恵”じゃないですけど。最後のワンカットで車が走っていくシーンですが、あの前の治の会話から合わせて最後の10分くらいは、脚本を4、50回書き直しているんです。僕と上村くんと大杉くんで延々と3年近くそういうことをやってきましたね。

───印象的なエピソードがありましたら。

岸 :脚本を先に送って、リハーサルって進んで行くんですけど、ある日上村くんから電話がかかって来て、「脚本どうだった?」って聞くと「ちょっとまだ自分の中に入り込んでないんで、もう少し読んでみます」って。それから数日の間に、脚本のことを大杉くんと話してる間に膨らんで書き換え始めたんです。でも“わーっ”てなってるから上村くんにそのことを伝える暇がなくて、出来上がった頃に彼から電話がかかってきて、「岸さん、かなり体に入ってきました」(笑)。

上村:もう違う感じで進んでいるのにね(笑)。

岸 :「大体体に染み込んで来て、ほとんど覚えました」って(笑)。

───どうお伝えしたんですか(笑)。

岸 :「上村くん、今新しいのできたから」。そしたら上村くんが凄いのは、「あ、分かりました」って言うんですよね。そういうことって結構あったのに平然と又、それに取り組むんです。

───素晴らしい切り替えですね。

上村:素晴らしいって言うか、おかしいですね(笑)。僕は今やってることがベストじゃないと思ってるんで、よりいいものが出来たらと思っているんですよ。

岸 :僕らが探していた答えは永遠に出ないと思っているんですよ。ゆっくりゆっくり階段を登って行くやり方でしかたどり着けない場所に行きたかったんですよ。時間を掛けたことに拘らないで次に進む、男らしいというか、しみったれてはいなかった。全員でもっと大きいものを信じて、目指していたよね。

上村:そういう進み方を楽しんでいましたね。

鑑賞後、人と話したくなる映画

───これから随時全国で公開されていく訳ですが、分かりやすい映画に慣れている方には、難解という感想を持たれる方もいるかもしれません。そういった方に見方のアドバイスをお願いします。

岸 :確かに決して分かりやすい映画ではないと思います。ただ、その分からないっていう感情はとても重要だと思うんです。僕たちも、分かりにくさに対してどういう反応があるのか気になっていたんですが。公開が始まってたくさんの方と話をしてみると、「分からないからもう一度観たい」とか、「分からないからこの映画のことを人と話したい」とか、様々な感想をもって下さる方が意外といたんです。堂々と「分からない」と言ってもらっていいと思います。でも感じることはたくさんある映画だと思いますので。

上村:「分からない」イコール「つまらない」ってことではないと思うんです。僕自身も分からないことはいっぱいあります。どこに自分が答えを出すかはその人にしか分からないんで、「自分なりにその答えを見つけよう」って思いながら見ていただけたらと思います。

Conversation

古澤健監督×岸建太朗監督トークショー at 2011.5.18

───2人の関係は?

岸 :実は古澤監督は、僕に「映画を撮れ」と最初に言ってくれた人なんです。古澤さんはいつも覚えていないと言うんですが…

古澤:いや、実は今、僕も皆さんと一緒に映画を拝見したのですが、映画がラストに近づくに連れて、これはちょっとまずいことを引き受けてしまったなという気持ちが高まって行きました。それは率直に言えば…これからお話をさせてもらうに当たって、この映画を見た皆さんが今感じているであろうざわめきや生の感想を…なるべく邪魔したくないという気持ちが僕の中にあります。この映画から受け取ったものを出来るだけ良い形で持って帰れるようにと…若干緊張気味ですけど、頑張ります。まぁ、そういう前置きをしつつ話していきますと…

岸 :お願いします

古澤:最初に岸さんと出会ったのは2003年か4年か…

岸 :2003年だと思います

古澤:最初、僕の監督デビュー作にあたる『ロスト☆マイウェイ』という作品に出演者を探す過程で岸さんと出会いました。偶然にも岸さんが出演されているある舞台を見て、まぁ一目惚れをして、その時はチョイ役だったのですが運良く出演して頂だけたんです。それから今まで関係が続いていますよね。さっきちらっと言いましたが、その舞台で上演されていた短編芝居、それが『カツ丼』だったんです。舞台の時も同じタイトルでしたっけ?

岸 :題名は同じく『カツ丼』です。芝居版の「カツ丼」は、机一個と椅子が二脚が舞台上にあるだけの、簡素な二人芝居でした。「カツ丼」を観た古澤さんは、開口一番「これは絶対に映画にするべきだ」と仰ったんです。

古澤:演目はオムニバス形式でしたっけ?

岸 :そうです。短編のオムニバス作品集で、6本あるお芝居の中の1つが「カツ丼」でした。

古澤:ですよね。確か30分か40分くらいの演目だと記憶しているんですけど、ただ僕は、それを映画にした方が良いっていう話しをしたかどうかについては、実は全く記憶になくてですね。その後岸さんからメールで案内が来て、『カツ丼』を映画にしたので観てくれないかってことで上映会に出向いたのですけが…あれは何年くらいでしたっけ?

岸 :たしか2004年?

古澤:そう、2004年の初頭でしたね。僕は「カツ丼」を観てほんとにびっくりしてしまって…なんていうか、僕が考えている映像作品とは全く違った作りをしていて、かつ映画としか呼びようがないものが、こんな東京の片隅で人知れず上映されていることに動揺を覚えてしまったというか…一言で言うと、現実には存在しないものがそこに映りこんでしまっているっていうことなんです。だから、「あ、この人は、この監督は見えてしまう人なんだな」って言う感想を最初に持ったんだと思います。そういった当時の実感から、徐々に『未来の記録』の話に接近できていけたらと思うのですが。

岸 :以前、古澤監督のトークイベントに呼ばれて、『かつ丼』を上映させていただいたことがありましたが、その時も「見えないもの」の話をしましたよね。

古澤:そうですね。例えば僕はホラー映画とか幽霊の映画を撮ったりしていますけれど、僕自身は全く霊感とかそういう能力とは無縁の人生を送っていて、あくまでもフィクションの対象として楽しむというか、だから僕が映画を作る時の発想としては、子供時代に楽しんだ映画をもう一度自分の手で創り直することができたら…という発想から映画を作っているんですけど、岸さんの映画を観た時に思ったのが、あ…この人は見えてしまう人なんだなって感想だったんですね。で、2年前に僕が主催するイベントに岸さんにゲストで来ていただいて、その時も久しぶりに『かつ丼』を上映させてもらったんです。壇上でのトークイベントだったので、事前に打ち合わせをさせていただいたんですけれど…その時に岸さんが、図らずも『僕、見えてしまうんですよね』と自ら仰ったんですよ。

岸 :確かそういう内容の話を、一緒に登壇した三宅隆太さん(映画監督『七つまでは神のうち (2011)』他)と勝手に始めていたんですよね。

古澤:そうです。三宅隆太監督。監督であり、かつ脚本家でもあるホラー映画の第一人者と呼べる方なんじゃないかと僕は思うんですけど、三宅さんもやっぱり見えてしまう人で。たまたま僕はそのイベントの少し前に岸さんが出演している芝居を観に行っていたのですが、その内容は偶然にも自殺を扱ったもので非常に面白い舞台だったんですけど、終わってから岸さんとロビーでばったり会って、『面白かったですよ岸さん』って言ったら、岸さんが僕に『今日は満席でしたね』って言うから『えっ!いや、今日はそんなに入ってなかったんだけど』『いやぁ、舞台の上から見たら客席が全部埋まってましたね。やっぱりこういう題材だと観に来たくなっちゃうんですね。』こう、岸さんの独特のこう…

岸 :(笑)あまりに当然のことみたく話すから。

古澤:その時に、あぁ!この人やっぱりそういう人なんだと。

岸 :確信が。

古澤:確信が得られました。まぁ、徐々にですが僕の中で岸建太朗という人物との最初の出会いからぼやっとしていた輪郭が解けていったというか、この人はそういう人物なんだっていうことが。これは怒らしちゃいけないぞって。

岸 :いやいや。

古澤:でもなんか、パズルのピースが1つ1つ埋まっていく感触があって…岸さんは僕の中でやっぱり作家なんですよね。僕は人間としてというよりも、演劇の舞台で見た役者さんであったり、脚本を書いてる岸さんであったり、こうやって映像作品を撮っている岸さん、それらが全て作品に還元されていっているという気がします。だから一つ一つの言葉や姿が岸さんの作品を理解する断片になっているという感じがいつもするので、会うたびに非常に刺激的なんです。そうですね、だからこの作品もどこから話を切り出していけば良いのかがとても難しいんですけど…ただ、僕はこの映画を最初に家で見たんですが、今日初めてスクリーンで見ての率直な感想は、画面に映されているキャラクターたちは「実在している」という風に感じたんですね。分かりやすい言い方をするなら、「全てのキャラクターにモデルがいる」ということかも知れないですし、逆に全く100%フィクションの人物であっても、この人の喋り方は実際に存在しているとしか思えない…というような手触りがあちこちから伝わってきて。例えばこれはとても些細なことですけど、僕が最もその感じを受けたのが、後半、あの自殺した男の子・・

岸 :コウスケ

古澤:そうコウスケ。治とこうすけのお父さんがあの家に一緒に訪れて。庭で一悶着あった後、お父さんがベランダから家に入って行くんだけど、勢いよく突入したものだからその衝撃で網戸が外れちゃいますよね。その後しばらくして、倒れた網戸を治が直すシーンがあるじゃないですか。

岸 :直しますね。

古澤:あれがね、何だか「あぁ、この人本当に存在してるんだな」っていう感じを受けて…僕はああいう些細なことに敏感に反応するところがあるんですけど、そういうドキッとする細部が端々にあって。だから単にフィクションとしてこの映画を撮影しているというよりも…いやもしかしたらですよ。極端な言い方をすると、この世に存在はしていない人物達を、「実在の人物として呼び寄せてしまっている」、そんな感じがしてですね。僕は岸さん本人のことを良く知っているから余計にそう感じたのかも知れませんが…つまり、そのシーンのベースにある核みたいなものは、そういう意味で「本当なんだ」と。まさしく「そこに在る」んですよね。それを強く感じたんですね。

岸 :いやすごい。これはさっきも打ち合わせで話したことなんですけど、僕はかねてより古澤さんとでなくては語れないようなことがあると思っていたんです…まさにそうなんですよ、僕がやりたいことは、「意図しない何かが画面に映り込んでしまう」というようなことなんです。違う言い方をすれば、映画を見た人の脳裏に、そこに無いはずのものが「描かれてしまう」とも言えます。僕にとっての映画とは、それを実現するための儀式なんです。何かを呼びよぜるために必要な手続きというか…

古澤:ああ、ええ、ええ。

岸 :今仰ってくれたことって、劇場公開の時に頂いたコメントにも書いてくれたじゃないですか?

古澤:あぁあぁ、えぇ。

岸 :何かを呼び寄せるための儀式をしていたに違いない」みたいなことを。

古澤:あぁ

岸 :僕、それを見た時に「おぉ!」と思いまして。分かってもらえるんだ、という嬉しさがあったというか。実は僕の台本はかなり面倒くさいしややこしい文体をしてるのですが…例えば、「これとこれをすることによって、「◎○」を呼び寄せる。この映画はそのための儀式なんです」、みたいなことを大真面目に書いたりするんです。

古澤:そうなんですか。

岸 :そうなんですよ。ただ、脚本を見た人のほとんどのがよく分かってない気もしますけどね。だからこそ、そこを感じてもらえたことが嬉しかったんです。自分からは中々言えることではないので…

古澤:ただ僕は、僕自身が今持っているキャリアによって岸さんとこういう話ができるようになった部分もあると思うんです。それはどういうことかというと、一つは岸建太朗という人を、これまでの付き合いの中で実際に見てきたということ。もう一つはさっき言ったように、僕自身が映画を撮る、映画を作りたい初期衝動というのは、子供の時に観た色々な楽しい映画の記憶があって、それを自分で作り直したいというようなことなので、それはおもちゃを持って遊びたいというような単純な欲望だったんですね。だけど実際に自分が映画監督になって、始めのうちはその欲望を実現することにただきゃっきゃと喜んでいたんですけど、ここ数年ですかね。作る時の姿勢は同じなんですが、出来上がった時に…あれ!?何かを呼び寄せてしまっている?ということを感じることがあって。ただやってる手続きは今までと同じなんですよ。自分が見たいこういうシーン、こういうカットを役者とスタッフと段取りを組みながらやっていくということに於いては。そこには何もオカルト的な要素はないんですけど、図らずも、あ、こういう手つきが何かを呼び寄せてしまう儀式なんだなっていうことを発見したりするわけです。だから先日岸さんが出演していた演劇(劇団オイスケール「サイゴ」)なんかは特にそうだと思うんですけど、やっぱりモノ作りっていうのは呪術的な要素があるんだなっていうことは感じます。

岸 :ありますよねー。演劇は特にその要素は強いですよね。

古澤:岸さんの場合はおそらくその部分をかなり明確に意識している気がします。ただ、これはやばい作業だと自覚して幽霊を呼び寄せるとかそういうことではなくて、本当に「誰のものでもない記憶を呼び寄せてしまう」とか、そういう目的に繋がるのかなって思っていて。

岸 :これはいつも感じることなのですが…映画や演劇って、何らかの儀式的要素がなくてはならないという気がするんです。それはコメディであってもシリアスなドラマであってもどっちでも良いしジャンルや内容のことではないんですけど、ただ「何かの儀式であるかそうでないか」には、おそらく明確な線が引けるという気がしています。僕は演技者として映画と関わり始めましたのですが、演じている時も作り手に回る時も、その思いは一緒ですね。目の前でそれを見ている観客の、「ずっと向こうに居るもの」。映画であればスクリーンの裏側というか。上手く言えないですが、そうした決して届かないものに対するアプローチだと思っています。そもそも原初的に考えても、一体どういう人が俳優だったのかった言うと、「巫女」なんですよ。神の言葉を降ろしてくるのが最初の俳優だったんです。だから、自分ではない何かを受け入れるための、その受け皿こそが俳優としての資質ではないかと僕は考えているんです。で、ずっとそういう姿勢で演技にも取り組んで来たんですけど、例えば未来の記録では僕は撮影も兼任していたのですが、カメラを担いでいる時も演じている時と同じ感覚で、自分の身体を何かを呼び寄せる避雷針というか、受け皿にしようとするんです。僕はよく「成仏させる」という言葉を使うんですけど、演じたり作ったりする行為を通じて、「何か」が僕の身体を通過していく感覚があるります。そうした意識は常にあります。

古澤:多分その、呼び寄せてしまうものとか、或いはそれを成仏させるような行為っていうのが一体何に繋がるのかって考えても、現実の尺度では到底換算できないことじゃないですか。だからこの映画の受け止め方も人それぞれによって全く違うんだろうし、センシティブな問題が絡んで来るからとても難しいとは思うんですけど…ある解釈によっては、これは本当に起きたことで、とても広い意味での「彼ら」が「失った記憶を取り戻す物語である」という受け止め方もできるし、タイトルに従うならば、「未だ起こっていない出来事を体験してしまった不思議な話」っていう風にも言えるのかもしれないし…でも結局それはどっちの解釈で受け取ろうとも、お客さんが「未来の記録」という出来事に立ち会ってしまったから…さっき言ったように、僕は「彼ら」を実在の人物として感じることができたんですね。実在としての彼らの人生、その記憶に「本当に立ちあってしまった」というような…。しかしこの感覚はなんなのでしょうね。きっと今後も、それを呼び寄せてしまった張本人の岸さんでさえ想像できないような作用があったり、お客さんの心の中に説明のつかない何かが残り続けてしまうような、そんな予感がします。普通だったら、この映画はこんな風に面白かったとか、理解できたとかわからなかったとか、そのぐらいのレベルで話しは終わるわけですけど…もうこれは「観たか観てないか」でその後の人生が全く左右されてしまうようなやばい作品なんで…まぁね。皆さんはもう観てしまいましたね。これはだから、もしかして明日になったら観たことを忘れてしまうかもしれない。観た記憶すらなくなってしまうかも知れない。『昨日、新宿にいたよね?』って言われて『えっ?』って、その瞬間から急に頭の中で「ばばばばばっ」ていろんなイメージが蘇ってきたりして。『あれ?あたし昨日映画観てた…観てたっけ?』とかそんな風になっちゃうかも知れない。そういうやばさが秘められた映画なんじゃないかなって。

岸 :今お話を聞きつつとても不思議な気持ちになっています。僕がこの映画を作る前に想像していたこと、例えばこんな映画が作れたらいいなという、そんな夢の話と言いますか…そのことを古澤さんにそのまま言われてる気がして…しかも僕よりもずっと上手く説明されてらっしゃってる気が…。

古澤:僕多分、今後ね、岸建太朗評論家になれる気がする。

岸 :本当に、僕よりも上手に作品解説ができていると感じます。

古澤:だから何かあったらまた是非呼んでいただきたい。ただ、すみません。勝手に暴走して2人でしゃべっちゃってるんですけど、いいんですかこんな感じで?大丈夫ですか?

岸 :大丈夫ですよね?

古澤:もし何かあったらふっていただけたら、話を修正して・・

───『未来の記録』はリピーターが増えているんですけど、もう1度見るならどの辺を気にして観ていくと面白いと思われますか?

古澤:一つ、観るヒントというかこの映画を理解するヒントとして、前半の方に出て来る、「人は二度死ぬ」というセリフがありますよね。一つは肉体的な死があって、もう一つは記憶が…

岸 :思い出の中からその人が居なくなる。記憶の死、ですね。

古澤:ただ僕はこの映画って、そのもう一つ先、三つ目の…

岸 :三度目の死?

古澤:…なんていうのかな?例えばゴーストストーリーとしてこの映画を捉えようと思った時に、つまり思い出というのは「思い出す主体」がいるわけじゃないですか?例えば僕が何かを思い出すとか、岸さんが何かを思い出すとか、この映画でいうと治が何かを思い出すとか、幸が何かを思い出すとかはあると思うんですけど…そうじゃなくて、そういう「思い出す主体がない記憶」、「記憶そのものだけがごろんとある状態」っていうのが、もしかしたら幽霊という風に人は感じるのではないか…と、僕は思ったんですよね。だから、この映画で語られている思い出が「誰の記憶なのか」っていうことを手掛かりにしてこの映画を見直してみるとまた全然違った物語が見えてくるんだろうし、ラストに置かれるセリフが、実際に生きてる人間のセリフなのか、または死んでる人間のセリフなのか…確かにあのときは画面に誰も写ってないじゃないですか?あのへんがまた違ったニュアンスで聞こえてくるんじゃないかっていう風には思いますけど。

岸 :いやあ、…それは素晴らしい案内ですよ。

古澤:まじですか?

岸 :はい。僕はもうほとんど言うことがないです。(笑)。本当に、全部代弁してくれているかのようです。

古澤:僕はやっぱり今日2回目っていうのもあるし、多分この映画で初めて岸さんを知った人よりも補助線として与えられている情報が多い気がするので、そういう意味で、本当に今後…今日観ていただいたお客さんにも何回か繰り返し観て頂きたいなと思うんですよね。その度にきっと見え方が違ってくるだろうし、もしできるならば公開期間中とは言わないまでも、それぞれの人生の中で何かの変化や出会いがあった後、もう一度この映画に出逢いなおすと、また見えてくる質感が異なってくるような、そういう意味での、ある種の鏡のような映画なんじゃないかなって気がするんですよね。

岸 :驚きます。まるで古澤さんが監督だった気がして来る。

古澤:いやいや。

岸 :ほんとに、そんな気持ちになってきました。

古澤:いや、単純に喋りたくなっちゃうんですよね。きっと岸さんの映画を見てしまうと、みんながこれ自分の映画だって思っちゃって自分の言葉で語りたくなると思うんです。これを作った人の意図は何なの?じゃなくて、俺はこう見る、私はこういう風なものが見えてしまった…という様な語り方ができるのが、岸さんの映画だと思っています。そういう意味でいうと、僕は今日ここにきて喋らされてしまった。そういう感じがするんですよね。だからやっぱりそこらへんが面白いというか、こんなに本気モードになることは滅多にないと感じますね。

古澤健
1972年生まれ。高校時代より8ミリ映画を撮りはじめ、『home sweet movie』で、1997年PFFアワード脚本賞受賞。同じ1997年に映画美学校修了作品として制作された『怯える』(98)を監督・脚本し、1999年にクレルモンフェラン国際短編映画祭に招待される。その後、黒沢清監督、瀬々敬久監督、青山真治監督などの演出助手を務めながら、瀬々敬久監督『超極道』(01)、黒沢清監督『ドッペルゲンガー』(02)の脚本を担当。2004年『ロスト★マイウェイ』で劇場長編デビュー。2006年には初のメジャー系作品となる『オトシモノ』が公開される。最新作は、岸監督も出演している「アベックパンチ」劇場公開された。

Comment

マッテオ・ボスカロール映画評論家

映画を見終わった後、私の心の中には「インランド・エンパイア」を観た時と同じような印象が残りました。『未来の記録』は、脳裏に様々な疑問を投射する作品です。罪とは何か、運命はあるのか、記憶とは何か、主体とは何か…。

Massimo Causoトリノ国際映画祭《WAVES部門》ディレクター

「未来の記録」は、過去と未来の関係を強烈に映し出す。過去が持つモラルや実存的効果が、現在に対していかに影響を及ぼすのかということが描かれている。物語の現在においては、過去に起こった出来事《一つの事件》が次第に暴かれてゆくが、「異なる時間同士」が互いに共鳴し合う様は注目に値する。その時、過去と未来は同時に露出されて、その理想的な形を展開するのだ。登場人物たちは過去の呪縛に囚われているように見えるが、回想や想像を含めた幾重にも折り重なる現実から枝分かれして、おのおのの〈未来〉へと〈フラッシュフォワード〉するかのようでもある。まるでホラー映画から「ホラー(恐怖)」を取り除いたような映画だ。監督の岸建太朗が編み上げたこの驚くべき映画は、人が起こす行動と、その行動が持つ道徳的な意味と、それらの相互関係を著しく述べたエッセーである。それは試験的な瞑想のようなものであると言えるし、あるいは優しさと強さを兼ね備えた、視聴覚的で重厚なパフォーマンスと呼べるだろう。

宮沢章夫劇作家/演出家/遊園地再生事業団主宰/『ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集』著者

分かったのは、岸建太朗は不器用だということです。人が5分でできることに、1時間もかけてしまう。でも、これはすごく重要なことで、普通はサッと通り過ぎてしまうものを、ものすごくゆっくり見ているわけです。時間がかかった分、きっちり自分の血肉にしている。それは作家としてとても大切なことで、それこそが芸術作品が本来持っているべき力である。

荒川良々俳優

な、な、なんだこれは?!まったく意味がわからない!でも意味がなんだ!映画の隅々まで、岸建太朗汁でびちゃびちゃだ!!

古澤健映画監督・脚本家『making of LOVE』『オトシモノ』

岸建太朗監督は、見ることそのものが「呪い」となるような映画を目指しているように思う。画面のすみずみに映ってはいけない存在の息吹が感じられる。決してテクニックではない。「本物」を撮影現場に召喚しているはずだ。そうでなくて、どうしてこんな映画を作れるというのか。覚悟をもって、スクリーンに向き合わなければならない。

西村喜廣映画監督『東京残酷警察』『HELLDRIVER』

時間をかけて撮影された日本の風景に感動し、動揺した。いつもは役者として僕の映画に出演し、力強い演技を見せてくれるキシケン(岸建太朗監督)。そんな彼が監督した本作は極めて繊細で、この真逆性の幅があるからこそ創り出された作品だと確信。面白い。最後にはゆっくりと涙が頬をつたう映画 だ。

井口昇映画監督『電人ザボーガー』

狂気と平静、絶望と希望、愛と孤独。相反する感情が彼の中で常に両立している。これはそんな男しか撮れない奇跡の映像です!

奥秀太郎映画監督『USB』『カインの末裔 』『赤線』

ここに記録されている風景は今どうなってしまっているだろうか?何気ない風景を、自分が見てきたものを、鼻息荒く記録した勇気に感動した。文化的テロリズムを今後とも深く支援していく集団でありたいと決意を新たにする。

渡辺一志映画監督『19』『スペースポリス』『キャプテントキオ』

特に設定を決めずに撮影して、編集し、みんなで話し合い、意見を反映させながらまた撮影をする。それを3年続ける。だからこそ、すごく贅沢に膨大な記憶からパッチワークされた、独特のリズムの映画に仕上がっている。

真珠子美術家

『思い』は形になる。それを輪切りにしたらこうなるんだろうなって思った。月や、雨や、雷、それから、隠し味で虹が入っている美しい透明ゼリーのような作品。

SKIPシティDシネマプロジェクト

◆ SKIPシティDシネマプロジェクトとは―

若手映像クリエイターの発掘と育成を支援するSKIPシティ彩の国ビジュアルプラザが、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭にエントリーまたはノミネートされた良質な作品を厳選し、より多くの方に鑑賞いただけるよう、一般の劇場での公開を支援するプロジェクトです。

◆ SKIPシティDシネマプロジェクト第一弾支援対象作品として―

「未来の記録」は、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2010長編部門(国際コンペティション)ノミネートを契機にSKIPシティDシネマプロジェクト第一弾支援対象作品として選出され、同プロジェクトによる支援のもと、2011年5月から7月にかけて東京・新宿武蔵野館ほか全国5か所の劇場で公開されました。

その後同プロジェクトでの劇場公開をきっかけに、デンバー国際映画祭正式招待、トリノ国際映画祭2011部門正式出品が決定するなど、「未来の記録」は目覚ましい活躍をみせています。

◆ SKIPシティDシネマプロジェクト第一弾作品『未来の記録』公開劇場一覧

東京  新宿武蔵野館
大阪  シネ・ヌーヴォx
京都  京都みなみ会館
神奈川 シネマジャック&ベティ
愛知  名古屋シネマテーク